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原発事故による避難指示が続く自宅に一時的に戻った末永一郎さん=2024年10月18日、福島県浪江町津島、波多野陽撮影
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 17日に公表された国のエネルギー政策の方向性を示す新しい「エネルギー基本計画」の素案から「原発依存度を可能な限り低減する」との表現が削除された。2011年の東京電力福島第一原発事故の反省を踏まえた方針の転換に、福島県の避難者は「事故が終わったことにされる」とやるせなさを募らせる。

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 浪江町津島地区の末永一郎さん(68)は「方針転換の前に、やるべきことが残っているだろう」と憤る。原発から30キロ以上離れた山間部の自宅周辺は放射線量が十分に下がらず、事故前は約1400人が暮らした地区の大半は帰還困難区域のままだ。

 事故の後、末永さんは家族で各地を転々と避難し、「津島に帰りたい」と願っていた父・勇男さん(当時79)を翌年に亡くし、災害関連死と認定された。

「東京では、原発事故が遠くなっていった」

 自宅の避難指示は現在も続き、避難先から草刈りなどで定期的に一時帰宅すると、こたつの上には当時読んだ新聞が広げられ、床が抜けるなど室内は荒れ、獣のふんが散らばっている。

 「建てたときの苦労を思うと涙が出るよ。死ぬまでここに住むと思っていた。国策でこうなったのだから、国が元に戻してくれないと。原発を動かす話はそれからだと思いませんか」

 春まで12年間区長も務め、政府への要望のため、町長らと上京することもあった。ただ、年を経るごとに、関心が薄れ、「東京では、原発事故は遠くなっていった」と感じる。

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